娘は現在、3rd grade。この夏で、モンテッソーリ lower elementaryが終わり、夏休み明けから、uppder elementaryが始まります。
先生によく言われますが、8歳というのは、心も体も、変化が始まり、でもその変化に追いつかず、戻ったり先に進んだりを繰り返す時期と。でも、それを過ぎて、いよいよ思春期への心の準備が整ったところで、upper elementaryが始まるとのとでした。その言葉通り、大いに変化した3rdの一年。lower elementaryで/の学びを纏めたいと思います。
複式学級で社会を学ぶ
モンテッソーリの学校といえば、複式学級。lower elementaryの場合、1-3年生が一緒です。一年生と言えば、ちょっと前までまだキンダーさんです。三年生との違いは大きい。一年生の立場からすれば、憧れでもあり、わがままを通して甘えたくもなる3年生。一方で、二年生は、一年生相手に、正論で、我を通そうとする。そうあっては、上手くいくものも、そうでなくなると学んでいる三年生は、時に小さい子に合わせたり、それ以上は言わずにそっと放っておいたり、重要なところは、ちょっとずる賢く自分がもっていたりと。見ていて本当に面白い。ちょっと大人な3年生と、イライラしている2年生、無邪気な1年生、本当に社会の縮図だなと思いました。
学習の面でも、日ごろのアクティビティでも、色々なシーンで、異学年で共に過ごすことによる社会的学びがあったと思います。
小規模学校で人間関係を学ぶ
モンテッソーリの学校と言うと、パブリックスクールのような規模ではありません。娘の学校もlower elementaryで三クラス。同性の同級生となると、学校全体で10~15人ぐらいだと思います。となると、友達を選べない。合う子も合わない子も、一緒に遊ぶ世界です。苦手な子とどう付き合っていったらいいのか、自分が想像だにしない対応をしてくる子を相手に、どうしたらいいのか、色々学びがありました。その都度、娘には、「その子の性格を見るんじゃなくて、好きなものでも嫌いなものでも何でもいいから、その子と共通のものを探してごらん」と言っていました。「もし、その子の好きな歌手で、自分が知らない人がいたら、教えてもらってごらん?」と。
友達が選べないというと、マイナスな環境に感じそうですが(実際、私も入学前はこれを一番ネックに感じていました)、二人の間に「ないもの」ではなくて、「あるもの」を見つける努力をすることを学べたと思っており、今後の学校生活の大きな幹になると感じています。
自発的な学びのモチベーション
モンテッソーリというと、受け身では学べません。自分の課題と同じことをやっている人はいないですから、自分で集中してペースを作って、こなしていかないといけないですし、自分で調べて纏める必要もあります。娘は、それが一般的な勉強方法だと思って、取り組んできたわけですが、8歳半ぐらいから、ようやく、そこに学びの楽しさを見出した様子でした。学んだことで印象的だったことを話してくるようになりました。その点、英語やmath以上に、scienceやsocialの学びは、より子供の知的好奇心を広げ、自分で調べ、纏める楽しさの入り口を教えてくれたと思います。
physicalな作業を通じて、抽象的な概念を学ぶ
Mathの教え方ですが、「理論的に教えた後、機械的に練習を繰り返す」のではなく、教具を使った作業を通じて、手と目で理論を理解していきます。それを繰り返し繰り返し・・・。この点、モンテッソーリの数学の教具は、抽象概念を理解しやすく、かつ、手先を使うことでより集中できるようにうまく出来ているように感じました。
ただ、機械的な繰り返しの数は圧倒的に不足しているので、そこを親が焦らないということが最重要になります。
地球や生物に対する興味が育った
モンテッソーリの Cosmic Education。宇宙や生命の誕生、地球と生物、人類、そのダイナミックな流れを繰り返し聞き学び、自然と地球や生物に対する興味が育ってきました。身近なところから理科社会の学習が発展していく日本の教育と、正反対のアプローチで、子供に直観的に訴える内容だと感じています。
国・生物を自ら調べ、纏めることの楽しさを知った
娘のモンテッソーリの学校では、lower elementaryの間は、インターネットやPCを使った学習はしません。ひたすら、本で調べて、特定の国や生物について調べて纏めたりしています。興味がある対象を選べることで、自ら纏める楽しさを知った様子です。クラスで決まったものについて調べるのに比べ、先生は相手が大変だと思いますが、子供の学びたい気持ちに寄り添う姿勢を大変有難く感じています。
テストがない
モンテッソーリにはテストがありません。共通テストも受けません。ですから、学年相応レベルと比較して、娘がどの程度の立ち位置なのかという点は日ごろ全く不明です。が、4th、7thのタイミングで、パブリックスクールに移る子もそれなりにおり、その子たちが転校後、困らないように、ある程度、学年相応の進度かということは意識されています。また、娘の学校の場合、3rd以上は、Iowaテストで定着度を1年に一回確認しています。
実際、転校した子供たちが、特に困る様子もないことを考えると、定期的なテストというのは、子供の学習に特に必要ないのかもしれないという気すらしてきます。
ただ・・・・親は辛抱が必要
モンテッソーリ教育、日本的教育感覚の親にはすごく辛抱が必要になります。そもそも、日本人の親にとっては、アメリカ教育の時点で辛抱が必要ですからね。
そもそもアメリカ人の教育は、外国語学習が不要な上、(プレ)キンダー~12thまでが義務教育で、本格的な試験準備は17~18歳までに仕上げればいい仕組みです。ただ、今どきは、教育熱心な家庭は、17~18歳のゴールを目指して、小さなころから塾やチューターをつけたり、高い不動産を手に入れて、評判の学区を選んだりしています。また、そもそも学校の評判は、ほぼ共通テストの出来で決まっており、教育熱心な人種(で、かつお金持ち)が多い地区ほど、よくなっています。ので、昔の、「アメリカの学校は楽」という認識は、一概にはそうとは言えないと感じています。ただ、17~18歳となれば、ある程度本人のモチベーションで、試験に向き合うことが可能になっているでしょう。この点が、教育制度として優れている点とあると感じます。
一方で、日本をはじめとするアジアの教育は、多大な負担を強いられる外国語の習得に加え、比較的幼少期に試験をクリアしなければならず、それには、親による強制やご褒美、人との競争意識などを原動力に頑張らせないといけない側面があります。そのような自国の教育制度に戻る子に対し、アメリカでモンテッソーリ教育を受けさせる場合、親の方に「絶対に焦らない」というぶれない軸がないといけません。例えば、日本ではすでに習っているからと、家庭で教えたりすると、モンテッソーリ的学習の良さを奪いかねないので、何も言わないでいる辛抱強さが求められます。
かくゆう私も、時折ぶれそうになることもありますが、その都度、モンテッソーリの良さを思い出して、我に返っています。