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コロナが教えてくれたもの


コロナ禍の中国駐在

2019年12月 夫が中国転勤で先に赴任先へ向かいました。私は、4月に出産を控えており、家族は無事出産を終えたら合流する予定でした。それから、数週間で。。。そうです。あのコロナ騒動が始まりました。

夫は、旧正月のおやすみに合わせて帰国。その2日前まで「全然平気。中国人は誰も気にしてないよー」と言っていた夫の運転手さんも、一時帰国のために空港に送ってくれた日には、マスク姿。数日で中国中が、完全防備になったのです。その後、ビザが取消されてしまい、中国に荷物を置いたまま、戻れなくなった主人。娘は大喜びでしたし、出産の時には日本にいることができました。

ビザ手続きが一部企業に対し細々再開され、次はいつ一時帰国できるか、家族の帯同手続きはいつ再開されるか、全く見通しも立たないタイミングで夫は任地へ戻ることに。産後のホルモンバランスも重なり、この頃は不安だらけの日々でした。いつ家族ビザの手続きが再開されるか、コロナ騒動が一旦何年続くのか全くわからない・・・。帯同ビザが再開されたら即行くことに迷いはありませんでした。

その後、一瞬、帯同ビザが開いた瞬間に会社が手配してくれたのですが、すぐに再度中止。慎重な会社では、他社の動向を様子見している間に、中止になってしまったそうで、私たちが日本を出発した時、空港で涙ながらにお父さんのお見送りをする家族を見かけました。入国後は、当初、一部に認められていた自宅隔離で、2週間過ごしました。朝晩検温、玄関には監視カメラ、ごみも危険物扱いで別回収。そんな二週間を終え、なんとかみんな熱も出さず、集団隔離施設に送られることなく、自由になりました。その後、両国の入国規制もあり、家族の行き来ができないまま、一年以上離れ離れだったご家族もありますし、その影響もあり、日系クリニックでは睡眠導入剤の在庫が品薄になってしまったそうです。在外邦人は、日本人と言えども、簡単には日本への飛行機に乗せてもらえない。そんな時期が続きました。

国境の分厚い壁

この時の経験から、家族が不安なく一緒にいられる幸せと、今やボーダーレスと感じさせる「国境」は依然として大きな壁であることを知りました。時差が少ない任地だったり、近場だと、国内の単身赴任と大差ないような気分で送り出しがちですが、でもやはり一度何か起きれば、国内の単身赴任とは違うんですね。子供が大きくなってくると、学校の勉強の問題もあり、英語圏、非英語圏関係なく、帯同するご家族が減ってきます。でも、この経験から、私は、今後も、どこの国でもなるべく帯同できるように、そのためにも子供の英語力アップのサポートをしたいと思っています。

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